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広島地方裁判所 平成5年(ワ)1028号 判決 1994年10月28日

原告

元山東泳

右訴訟代理人弁護士

緒方俊平

石口俊一

原垣内美陽

中田憲悟

被告

右代表者法務大臣

前田勲男

右指定代理人

富岡淳

外六名

主文

一  被告は、原告に対し、三三〇〇万円及びうち三〇〇〇万円に対する平成三年三月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その七を原告の、その三を被告の負担とする。

四  この判決は、原告の勝訴部分に限り、仮に執行することができる。ただし、被告が三〇〇〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、一億四〇〇〇万円及びうち一億三五〇〇万円に対する平成三年三月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、大都商会との商号で金融業を営む者である。

2  登記簿の抜取り・偽造及び金員の騙取

(一) 賭博等の借金の返済に窮した甲野一郎は、乙川二郎、丙田三郎及び丁海四郎らと共謀のうえ、登記簿を改ざんして、金融業者から金員を騙し取ることを企て、次のとおり、登記簿の偽造等をした。

(1) 平成三年二月五日、別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地」という)の登記簿甲区欄原本を抜き取った。

(2) 同月六日、あらかじめ用意していたタイプライター及び「登記官・伊藤」との印鑑を利用して、右登記簿甲区欄原本に甲野が昭和六二年一一月二九日の売買を原因に所有権移転登記した旨偽造した。

(3) 同月七日、右偽造した登記簿甲区欄原本を本件土地の登記簿冊に挿入してつづった。

(4) 同月八日ころ、右虚偽の記入がされた登記簿謄本の交付を受けた。

(二) 原告は、知人の戊山春子に紹介された甲野から、偽造された本件土地の登記簿謄本を示して金員の借入れを申し込まれ、登記簿謄本記載のとおり本件土地を甲野が所有している、と信じて、平成三年三月一日、本件土地に抵当権を設定し、甲野に対し、一億三五〇〇万円を融資した。

3  登記官の不法行為

登記官の次のような過失によって、虚偽の所有権移転登記が記入された本件土地の登記簿謄本が作成・交付されたが、原告は、右登記簿謄本に記載された虚偽の所有権移転登記を真正なものと信じて、本件土地を担保に甲野に一億三五〇〇万円を融資する損害を被るとともに、本件訴訟の追行を原告代理人らに委任し、弁護士費用として五〇〇万円を支払う損害を被った。

(一) 閲覧監視義務違反

不動産登記法施行細則(以下「細則」という)九条は、登記用紙の脱落防止、閲覧後登記簿の保管について常時注意すべき旨、三七条は、登記簿等の閲覧は登記官の面前でさせるべき旨規定し、不動産登記事務取扱手続準則(以下「準則」という)二一二条は、登記簿の閲覧の前後に枚数の確認など登記用紙の抜取りや改ざんがなされないように厳重に注意する旨規定している。

ところが、広島法務局登記官は、その面前で登記簿原本の閲覧をさせることなく、登記簿閲覧の前後の枚数の確認を怠る等閲覧の監視を怠り、また、閲覧後の登記簿の保管をなおざりにする過失により、甲野らが本件土地の登記簿原本を抜き取り、偽造し、返却するのを防止できなかった。

(二) 登記簿謄本作成・交付の際の注意義務違反

登記官は、登記簿謄本の作成・交付に際し、登記簿原本に改ざん等がないか確認のうえ、登記簿謄本を作成・交付する義務があるにもかかわらず、右義務に違反した過失により、改ざんされた登記簿の謄本を作成・交付した。

4  よって、原告は、被告に対し、国家賠償法一条の規定に基づき、損害賠償金一億四〇〇〇万円及びうち一億三五〇〇万円に対する不法行為の日以降である平成三年三月一日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び主張

1  請求原因1の事実は不知。

2  同2の事実は不知。

ただし、本件土地の登記簿の甲区欄順位第二番の所有権移転登記が偽造されたことは認める。

3  同3は争う。

原告主張の損害額のうち、年利43.2パーセントの天引き利息一四五八万円と戊山春子に対する貸金の元利合計二二五四万〇八五〇円の回収分は、損害にならない。原告に生じた損害額は、甲野の口座に振り込んだ九七一六万一四五〇円と司法書士に支払った抵当権設定登記費用七一万七七〇〇円の合計九七八七万九一五〇円である。

4  登記官には、以下のとおり、過失はない。

(一) 閲覧監視義務違反について

登記官が細則三七条、準則二一二条一、二号の規定に要求される行政庁内部の職務上の義務としての閲覧監視義務に違反したか否かを判断するには、平成三年当時の広島法務局登記部門における具体的な人的・物的状況を前提に、不正行為の防止措置をとることの難易、その有効性の程度、その措置を実施することによる登記事務処理上の不都合ないし支障等を考慮すべきである。

これを本件についていえば、平成三年二月当時、個々の閲覧者と登記官が一対一で向き合う形で閲覧する方法や、閲覧後の登記用紙をその都度枚数の確認をする方法はとられていなかったが、当時の繁忙状況にあって、広島法務局の人的・物的制約のもとでの実施は不可能であり、窓口整理閲覧監視要員の配置、登記官による監視可能な位置への閲覧席の配置、監視ミラーの設置等の、当時の人的・物的な制約下において最大限実施可能な方策をとっていたのであるから、登記官に過失はない。

なお、最高裁昭四三年六月二七日判決で問題となった登記官の印影確認義務は、登記官の通常の職務行為の過程での一般的な注意義務を果たすことによりある程度は発見が可能である。これに対し、閲覧監視義務は、登記官の通常の一般的な職務遂行過程で発見されるものではなく、登記所の閲覧体制のあり方そのものが問題とされるものであり、登記簿冊の管理体制の問題である。登記官の印影確認義務と閲覧監視義務とを同列に論じることは相当でない。

(二) 登記簿謄本の作成・交付の際の注意義務について

細則三五条の二、準則二〇九条の規定は、登記簿謄本の作成に当たり、登記簿に記載された事項の全部を遺漏なく、かつ誤りなく写し取ることを要求したもので、登記簿原本に偽造の登記がないことを確認した後でなければ、謄本の作成・交付をしてはならない旨を義務付けたものではない。

本件について使用されたタイプ活字及び登記官の認印は、登記官が一見して偽造されたものであることを看破できないほど巧妙なものであるから、このような登記事項を記載した登記簿謄本を作成・交付した登記官に過失はない。

5  登記官の所為と原告の損害との間には、相当因果関係はない。

原告は、登記簿上の前所有者古川光彦に対して所有権移転の事実を確認するか、甲野に対して本件土地の固定資産課税台帳登録事項証明書の提示を求めさえすれば、容易に損害を免れ得たのであるから、原告の重大な過失の介在により、甲野らの不法行為による損害と登記官の所為との間には相当因果関係が認められない。

6  仮に、登記官に過失があったとしても、原告は、甲野らが暴力団関係者であることを知り、又は容易に知り得たのに、同人らの儲け話に騙されて、金融業者として通常払うべき注意を怠り、易々と求められた融資を実行したものであるから、原告の過失割合の方が大きく、大幅な過失相殺がされるべきである。

三  被告の主張に対する原告の反論

被告の主張5及び6は争う。

本件土地については、原告が初めて抵当権を設定するのではなく、すでに栄能産業有限会社(以下「栄能産業」という)が抵当権を設定していたから、甲野が本件土地の所有者であるか否かについては、十分に調査が尽くされていたと言うべきである。原告が、甲野が本件土地の所有者であると信じるについて、過失はない。

第三  証拠

本件記録中の証拠目録記載のとおりである。

理由

第一  事実関係

本件証拠(甲第一ないし第二七号証、乙第一ないし第五号証、証人増本正博の証言、原告本人尋問の結果)並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。

一  甲野らの登記簿原本の抜取り・偽造及び金員の騙取について

1  甲野一郎は、平成二年一二月ころ、多額の借金を抱え、遊興費に窮していた。漫画「ナニワ金融道」にヒントを得て、乙川二郎と共謀して、登記簿の原本を抜き取り、虚偽の登記を記入して、金融業者から金員を騙し取ることを計画した。

2  甲野は、暴力団共政会有木組の幹部組員であり、傷害、監禁、賭博等の前科を有していた。甲野は、小指を欠いている。

乙川は、甲野の親しい友人であり、不動産業等を営む都市企画株式会社(以下「都市企画」という)の代表取締役であった。

3  甲野と乙川は、平成二年一二月一四日ころ、広島法務局から広島市中区舟入南所在の土地の登記簿原本を抜き取った。ところが、同月一八日ころ、右登記簿を閲覧したところ、登記簿冊に登記簿原本の紛失を示す付戔が付いていたため、舟入南の土地の登記簿原本に虚偽記入して返還することをあきらめた。

4  甲野と乙川は、登記簿原本の抜取りを自ら実行することをためらい、都市企画に出入りしていた丙田三郎に対し、報酬として一〇〇〇万円を支払う旨約束して、登記簿原本の抜取りを依頼した。丙田は、これを承諾した。虚偽の登記を記入するのに必要なタイプライターは、乙川が注文して用意した。登記官の印鑑は、甲野が舟入南の土地の登記簿に押されていた印を真似て「登記官・伊藤」との判を知合いの業者に作らせた。

5  丙田は、平成三年一月二一日ころ、付き合いのあった不動産業者丁海四郎とともに、広島法務局で登記簿の閲覧申請をし広島市中区羽衣町の登記簿原本を抜き取った。ところが、右登記簿原本に虚偽記入して戻す前である同月三〇日ころ、登記簿冊を確認したところ、登記簿原本の紛失を示す付戔があったため、右登記簿原本に虚偽記入をして戻すことをやめた。

6  平成三年二月初めになって、甲野、乙川及び丙田は、更地であった本件土地を見付け、登記簿の閲覧により抵当権設定登記のないことを確認し、本件土地の登記簿原本を盗むことを共謀した。同月五日ころ、丙田が、丁海とともに、広島法務局に行き、偽名で本件土地の登記簿の閲覧申請をした。丙田は、取りだされた登記簿を閲覧する振りをして、本件土地の登記簿原本を抜き取り、これを封筒に挟んで持ち出した。丁海は、丙田の犯行が広島法務局の職員に見つからないように、更に他の閲覧者が丙田に近づかないように見張っていた。

7  同日の夜、乙川が、準備していた前記タイプライターと登記官の印を用いて、別紙(一)のとおり、本件土地の登記簿原本に、昭和六二年一一月三〇日受付第四三二七号所有権移転登記(登記原因昭和六二年一一月二九日売買、所有者西永忠信)との虚偽登記(以下「本件登記」という)を記入した。右偽造には、タイプのピッチを合せるのに苦労し、約三時間の時間を要した。本件登記は、一見すると本物のようではあるが、受付番号が「第四三弐七号」と「参」の文字ではなく「三」が使用されているし、原因欄や所有者欄の改行された文字の位置が本来の登記と異なっていた。文字と文字の間隔も、不揃いであり、本来の登記の文字の間隔に比較すると、違いがあった。

8  平成三年二月六日ころ、丙田が、丁海とともに、広島法務局に行き、本件土地の登記簿閲覧の申請をし、封筒に入れて持ち込んだ本件土地の登記簿原本を登記簿冊に返還した。同月七日、本件土地の登記簿謄本の交付申請をした。広島法務局登記官は、本件土地の登記簿原本に甲野名義の虚偽の所有権移転登記(本件登記)が記入されたことに気付かないまま、本件土地の登記簿謄本を認証・交付した。

9  甲野は、手に入れた本件登記が記入された本件土地の登記簿謄本を利用して、二、三の知合いから金員を騙取しようとしたが、成功しなかった。ようやく、乙川の紹介で、金融業者である栄能産業から、本件土地を担保に六〇〇〇万円の融資を得ることができた。平成三年二月一五日、本件土地に債権額六〇〇〇万円、債務者甲野、抵当権者栄能産業とする抵当権設定登記が経由された。

10  右六〇〇〇万円では、甲野の借金の返済にも十分でなく、丙田に約束した報酬の支払もできなかった。甲野らは、丙田にも、本件土地を担保に貸し付けをする融資先を紹介するように依頼した。

二  原告からの金員の騙取について

1  原告は、大都商会との商号で約二五年前から金融業を営む者である。原告の貸付金額は、普通一〇〇〇万円程度である。数千万円の貸付が過去の最高額であった。本件のように一億円を超える貸付をした経験はなかった。

2  原告は、昭和六一年一一月ころ、クラブ経営者である戊山春子に対し約三〇〇万円程度の貸付けをしたことから、戊山との取引が始まった。昭和六三年二月には、約二五〇〇万円の貸付けをし、戊山所有の広島市佐伯区五月が丘所在の土地・建物(以下「五月が丘の物件」という)に債権額二五〇〇万円の抵当権設定登記をしたが、同年九月に弁済を受けて、右抵当権設定登記を抹消した。

3  原告は、戊山に対する貸付金が総額約二二〇〇万円に達した(その中には、戊山の娘に貸し付けて戊山が連帯保証したものも含まれる)ため、平成二年六月二九日、五月が丘の物件に極度額二五〇〇万円の根抵当権を設定した。平成二年一二月ころになると、戊山が利息の弁済を怠り始めた。原告は、戊山に対し、再三元本の返済を求めるようになった。戊山は、店のお客で戊山の借金を肩代わりしてくれる人がいるので待ってほしい旨対応した。

なお、五月が丘の物件には、平成三年一月及び二月と広島県の県税事務所の差押えがなされている。

4  平成三年二月二六日、戊山は、原告の事務所に丙田を連れてきて、原告に紹介した(丙田は、戊山の娘と親しい関係にあった。戊山と甲野も、顔見知りであった)。丙田は、原告に対し、甲野が本件土地を担保に金員を借りたがっている、本件土地は甲野の父親が船を売却して甲野のために購入した不動産であるが、父親が死んで自由に処分できる、甲野は建築業を営んでいる、本件土地をすでに栄能産業に担保に提供している、丙田は甲野から本件土地の担保提供を任されている等の説明をし、本件土地の登記簿謄本の写しや公図の写しを示した。更に、丙田は、原告を本件土地の所在地に案内し、現地を見せた。本件土地は、資材置き場になっていた。原告は、本件土地が坪三〇〇万円程度(約七億円)の価値がある、と判断し、融資してもよい、と考えた。

5  原告に示された本件土地の登記簿謄本によれば、本件土地は、昭和四四年九月一〇日に、所有者を「広島市舟入幸町六五五番地の一古川光彦」とする土地区画整理法の換地処分による所有権移転登記が経由され(従来甲区欄の順位三番の登記であったが、昭和四六年に移記されて順位一番の登記になった)、その後昭和六二年一一月三〇日受付の甲野名義の本件登記が経由されているだけで、抵当権設定登記等の担保提供した形跡はなかった。

また、本件土地は、周辺の古川光彦ら所有の土地とともに土橋不動産商事が駐車場として管理していたが、平成三年二月末ころは、本件土地部分のみ広島建設工業株式会社にケーブル等の資材置き場として一時賃貸借されていた。

6  平成三年二月二七日、甲野が原告事務所を訪れ、原告と会った。甲野は、本件土地を担保に一億五〇〇〇万円位貸して欲しい旨申し入れた。しかし、原告は、自己の資金の関係から一億円しか用意できなかったし、戊山の債務約二二〇〇万円を肩代わりすることを求めた。甲野は、原告の申し出を承諾した。

7  平成三年二月二八日、原告事務所において、甲野と原告との間で、貸金及び担保提供の契約書類が作成された。

一億三五〇〇万円の借用書類が作成された。利息は年43.2パーセント、弁済期は平成三年五月二九日と定められた。戊山が形式上連帯保証人となった。一億三五〇〇万円から、戊山への貸付金元利合計二二五四万〇八五〇円、弁済期までの利息一四五八万円、抵当権設定登記手続に必要な経費七一万円七七〇〇円を差し引いた九七一六万一四五〇円を甲野の銀行口座に振り込む旨合意した。甲野は、貸付金を現金で受け取ることを希望していたが、金額が大きいため、原告が銀行振込することにした。

また、本件土地について債権額一億三五〇〇万円の抵当権設定契約書も、作成された。原告が塚永行司法書士を呼び出し、抵当権設定手続に必要な書類を作成・確認してもらった。甲野の印鑑証明書及び委任状を受け取った。ところが、甲野は、いわゆる権利証を持っていなかった。保証書をもって、登記手続をすることになった。

甲野本人であることを確認するため、甲野の運転免許証の提示を求め、コピーをするとともに、甲野のポラロイド写真をとった。

原告が戊山に対して有していた五月が丘の物件の根抵当権を甲野に譲渡する書類も作られた。

書類作成が終わり、甲野が帰った後、原告は、再度、塚司法書士と現地を確認したうえ、塚司法書士に本件土地の評価額が少なくとも坪二七〇万円はすることを確かめてもらった。

8  原告は、右のとおり、甲野が本人であることの確認や本件土地の所在地の確認には念を入れたが、甲野が真実所有権を取得したか否かについては登記簿の所有権移転登記を信頼して疑問を持たなかった。すなわち、甲野が本件土地を取得した経過は丙田から説明を受けた以上の事情を甲野からも聴取していないし、丙田や甲野が説明した事情を裏付ける調査はしていない。甲野がなぜ一億円を超える資金を必要とするのか、甲野がどのような事業を経営しているのか、詳しい説明もこれを裏付ける調査もしていない(原告は、甲野が建築業を営んでおり、事業資金を必要とする、との説明しか受けていない)。十分に担保価値のある本件土地が、金融機関に担保提供されることなく、いわゆる街の金融業者の下で担保になるのかの事情は聴取していない(原告は、その理由を甲野がぼっちゃんで世間知らずである、甲野の人間を見て銀行と取引がない、と判断している)。なぜ、甲野が戊山の二二〇〇万円余りの債務を肩代わりするのかも詳しくは事情を聞いていない(原告は、甲野が戊山の娘の関係から債務の肩代わりをする、と一方的に判断した)。現地においても、本件土地の利用関係がどのようになっているのか、甲野が真実所有権を取得しているのか、等の権利関係の調査はしていない。

9  平成三年三月一日、原告は、本件土地について、前記抵当権設定登記の申請をしたことを確認し、当日の午後二時少し前に甲野の口座に九七一六万一四五〇円を振り込んだ。甲野からは、何度も振込み確認の電話があった。甲野は、直ちに九七〇〇万円の払い戻し手続をとった。

10  平成三年五月になって、甲野は、本件土地を担保に金融業者である中央商事株式会社(以下「中央商事」という)から金策しようとした。しかし、中央商事は、甲野が本件土地の所有者であることに疑問をもった。中央商事から連絡を受けた原告は、甲野らに騙されたことを知った。甲野や戊山から前記貸金を回収することは事実上不可能である。

三  登記所の登記簿閲覧監視体制等について

1  広島法務局の登記部門で、登記簿の閲覧事務は、認証係が分掌している。平成三年二月当時、具体的には、二名の職員と四名の窓口整理要員(常用の三名の賃金職員のほか繁忙対策要員一名がいた)が閲覧事務を担当していた。当時の机の配置等は、別紙図面(二)のとおりである。

2  具体的な閲覧の手続は、次のとおりであった。

別紙図面(二)のE点で、係の者が閲覧の申請を受け付ける。担当者が、書庫内に保管されている登記簿冊を搬出し、右図面のF点で申請者に手渡す。申請者は、右図面の閲覧席で登記簿原本を閲覧する。閲覧が終わると、右図面の登記簿返還場所に登記簿冊を置いて、閲覧席を出ることになる。

3  閲覧の監視体制は、次のとおりであった。

右図面のカウンターには、閲覧係の担当者がいた。反対側には、登記官の席があった。正面側には、総括係や認証係の職員席があった。三方に職員がいる体制になってはいるが、いずれも本来の職務があり、閲覧者を十分監視できる状況ではなかった(右認定に反する乙第三号証は、甲第二四、第二五号証に照らし、採用できない)。不審者らしい者に気付けば、返還した登記簿冊を確かめることがあった程度である。

また、右図面記載のとおり、電動ミラー(警察の実況見分では、一部しか見渡せないとなっている)及び固定ミラーがあり、監視カメラもあったが、いずれも閲覧者に対して心理的影響を与えるだけで、閲覧者の動静を十分監視できなかった。

閲覧者の荷物の持ち込みを避けるため、右図面記載のとおり、申請人のロッカーが設置されていた。しかし、鞄等の持込みは、完全には禁止されていなかった。鞄を床に置いて、閲覧する者もいた。

そのほか、閲覧の注意事項を記載した表示板を設置したり、多数の登記簿冊を閲覧する者には、見通しを妨げない登記簿運搬台車を使用させたりしていた。

4  広島法務局では、昭和四二、三年ころ、登記簿原本の抜き取り事件があった。その後も、全国では、登記簿原本の抜き取り事件や登記簿原本への書き入れ改ざん事件が起きている。その度に上級庁から閲覧体制等に指示がある。

前記認定のとおり、平成二年一二月及び平成三年一月と続いて、甲野らが登記簿原本を抜き取っている。広島法務局は、登記簿原本の紛失を発見しながら、登記簿原本の誤綴であると判断して原本の探索をした。短期間に登記簿の原本の紛失が続き、探索により原本が発見できていないのに、登記簿原本の抜き取りについて調査することなく、閲覧監視の体制も特に強化することはなかった。

5  本件土地の登記簿の抜き取りが発覚した後の平成三年九月、広島法務局では、閲覧席の配置を変えて、閲覧監視を専門にする職員を一名配置し、閲覧席の見回りをさせる体制を作った。

以上の事実が認められる。

第二  右認定の事実を前提に、原告の本訴請求の当否について検討する。

一  前記認定の事実によれば、原告は、甲野らから、不実の登記が記入された本件土地の登記簿謄本の写しを示されて、本件土地が甲野の所有である旨欺罔され、その旨誤信して、本件土地を担保に甲野に対し一億三五〇〇万円を貸し付ける旨の契約をし、甲野に九七一六万一四五〇円を交付し、登記諸費用七一万七七〇〇円を支出した、と認められる。

二  登記官の過失

不動産登記制度が不動産取引の安全と円滑に果たす役割、特に不動産登記に対する国民の高い信頼性を考慮して、不動産登記法施行細則九条が、登記官は登記用紙の脱落の防止その他登記簿の保管につき常時注意すべし、と規定し、同三七条が、登記簿若しくはその附属書類又は地図若しくは建物所在図の閲覧は登記官の面面においてこれをなさしむべし、と規定し、不動産登記事務取扱手続準則二一二条が、登記簿若しくはその附属書類又は地図若しくは建物所在図を閲覧させる場合には、次の各号に留意しなければならない、として、登記用紙又は図面の枚数を確認する等その抜取り、脱落の防止に努めること、登記用紙又は図面の汚損、記入及び改ざんの防止に注意すること等を規定していることを考えれば、登記官は、登記簿原本の抜取り、改ざん等を防止するため、登記簿閲覧を監視する注意義務がある、と解するのが相当である(登記処理の件数の実態からして、文字どおり登記官の面前で登記簿を閲覧させたり、常に登記簿閲覧の前後に枚数を確認したりする注意義務を要求することはできないとしても)。

これを本件についてみるに、広島法務局登記官には、以下のとおり、閲覧監視義務違反があった、と認められる。

1  前記認定の態様で、本件土地の登記簿原本が抜き取られ、虚偽の所有権移転登記が記入されて登記簿冊に戻されている。更に、その前の二か月間に二回にわたり同じく登記簿原本が抜き取られている。これらの事実からして、当時の広島法務局登記部門の登記簿閲覧を監視する体制は十分でなかった、と推認できる。

2  具体的態様をみても、閲覧席の三方を登記官ないし法務局職員が囲んでいるが、いわば本来の職務の片手間に閲覧席を注意しているのであって、十分な監視ができているとは認めがたい。ミラーや監視カメラも設置されているが、閲覧者に対する心理的効果以上に監視機能があったとも認められない。閲覧者用のロッカーもあったが、閲覧席に鞄等を持ち込んで閲覧していたと認められる。監視体制が十分であったとは認められない。

3  本件の犯行後にとられたように閲覧者を監視する専門の職員を配置したり、閲覧席に封筒を持ち込むことを禁止したり等すれば、本件の犯行を防ぐことができた、と推認できる。右のような措置をとることを要求することが、当時の広島法務局登記部門の物的・人的体制に照らして不能を要求するものとは考えられない。

4  少なくとも、広島法務局登記部門では、平成二年一二月及び平成三年一月と登記簿原本が紛失したことに気付き、登記簿原本の誤綴と判断して登記簿原本を捜したが見つからなかったのであるから、この時点において、登記簿原本の抜取りの可能性を考慮して、前記3で説示したような体制等をとって、閲覧監視を強化すべき義務のあったことは肯定できる。

5  右1ないし4で説示したところを総合すれば、前記認定の事実の下において、広島法務局登記官には閲覧監視義務を怠った過失がある、と認めるのが相当である。

三  損害額

1  登記官の前示閲覧監視義務違反の過失により、甲野が所有者である旨の不実の本件登記が記入された本件土地の登記簿謄本が作成・交付され、右登記簿謄本の記載を信頼した原告は、甲野との間で一億三五〇〇万円の貸付契約を締結し、甲野に対し、九七一六万一四五〇円を交付したほか、抵当権設定登記手続に関する諸費用七一万七七〇〇円を負担して、合計九七八七万九一五〇円の損害を被った、と認められる。

2  登記官の右過失がなければ、本件土地の登記簿原本に本件登記が記載されることはなく、原告が本件登記を信頼して一億三五〇〇万円の貸付契約を締結することもなかったのであるから、一億三五〇〇万円の貸付契約が有効に成立したことを前提にする利息分の損害は、登記官の右過失と因果関係がない。

3  当時の戊山の資力からして同人に対する貸金債権元利合計二二五四万〇八五〇円の弁済を実際に受ける可能性はない、と認められる。五月が丘の物件に設定された根抵当権も当時実行して右貸金債権の回収が図れた、との特段の事情は認めれず、登記官の前示過失がなければ、戊山に対する貸金債権の満足を得られた、とは認められないから、戊山春子に対する貸金債権の元利合計二二五四万〇八五〇円の立替分は登記官の右過失と相当因果関係のある損害ではない。

4  登記官の前記過失により原告の被った損害は、合計九七八七万九一五〇円と認められる。原告にも、後記四の過失は認められるが、登記官の過失と右損害との間の相当因果関係を欠くとすることはできない(貸付をする際に、一般的に登記簿上の前所有者に権利関係を確認するとか、固定資産課税台帳の登録事項証明書の提出を求める義務を肯定することはできない)。

四  過失相殺

前記認定の事実関係の下においては、原告にも以下のとおり相当の落度があると認められる。

1  甲野を紹介したのは、資力に不安のある戊山であった。また、甲野は、暴力団の幹部である。間に入った丙田も、戊山の知合いで甲野の仲間であると認められる。右のように人物的に問題のある者からの申込みに対する原告の対応・調査は、二十数年の金融業の経験を有する業者として十分ではない、と評されてもやむを得ないものである。

2  本件土地は、時価数億円の土地で、登記簿上担保提供された跡はなかったものである。一般に通常の事業を行なう者は、金融機関との取引があるし、本件土地のような担保があれば通常は金融機関から借入れができるはずである。ところが、甲野は、年四割を超える利息を負担してでも一億五〇〇〇万円以上を借りようとしている。通常の事業経営者の態度ではない。甲野の事業がどのようなもので、どうして一億五〇〇〇万円の融資が必要であるか、十分事情を調査すべきであった。この点の調査が不十分であった原告の態度は、きわめて軽率であった、と言える。

3  右のように、甲野は、人物的にも問題があり、なぜ一億円以上の借金をするのかその理由にも疑問の余地があった。その甲野は、本件土地の権利証を所持していなかった。甲野が説明したような事情で真に本件土地を取得したのか、についても、十分説明を聞き、場合によっては裏付けとなる書面の提出を求めるべきであった。原告は、普通は一〇〇〇万円程度の取引をしており、数千万円の取引が過去最高であったのであるから、一億円を超える取引をするに際して、より慎重な調査・態度が求められてしかるべきである。

4  また、原告は、二度にわたり本件土地の現地を確認している。しかし、本件土地の利用関係・権利関係については、調査していない。本件土地の利用関係を聞き合わせれば、本件土地の権利関係に疑問が生じる余地があった、と認められる。

5  原告は、栄能産業が抵当権を設定していたから、甲野が本件土地の所有者であるか否かの調査は十分尽くされていた旨主張するが、栄能産業が抵当権を設定していることは、原告が前記説示の調査・確認する義務を免れる理由にはならない。

右説示の事情を総合考慮すれば、原告にも本件の貸付をするに際し、相当の落度があった、と認められるから、原告と登記官との過失割合は、ほぼ七対三と認めるのが相当である。

したがって、原告が請求できる損害賠償の金額は、前記三で認定した損害額のうち、三〇〇〇万円と定める。

五  弁護士費用

原告が、本件訴訟の追行を原告訴訟代理人弁護士らに委任したことは、訴訟上明らかであり、本件事案の難易、認容された賠償額等を考慮すれば、被告の不法行為と相当因果関係のある弁護士費用は、三〇〇万円と認める。

六  まとめ

以上説示・認定したところによれば、被告は、国家賠償法一条一項の規定に基づき、國の公権力の行使に当たる登記官の過失によって違法に原告に加えた損害三三〇〇万円を賠償する責任がある。

第三  結論

よって、原告の本訴請求は、損害賠償金三三〇〇万円及びうち三〇〇〇万円に対する不法行為の日以後である平成三年三月一日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、これを認容し、その余は理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 小林正明)

別紙物件目録

所在 広島市中区西川口町

地番 一〇番二

地目 宅地

地積 813.88平方メートル

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